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広島高等裁判所松江支部 昭和30年(う)21号 判決

控訴人 被告人 窪田幸之助

弁護人 大脇英夫

検察官 西向井忠実

主文

本件控訴を棄却する。

理由

弁護人大脇英夫の控訴の趣意は記録編綴の昭和三〇年二月二八日附控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

第一点について。

原判決が本件犯罪事実中第一の(一)及び(二)の摘示として、被饗応者につきそれぞれ所論摘録の如く判示したことは、所論のとおりである。併しながら、原審においては、右(一)の窪田亀市等約二〇名及び(二)の中野忠等約一〇名に対する各饗応の行為をそれぞれ包括的に公職選挙法第二二一条第一項第一号違反の各一罪と認めた上、右第一の(一)(二)の両罪と第二の罪とが刑法第四五条前段併合罪の関係に在るものとして相当法条を適用したものであり、決して被饗応者各一人毎につきそれぞれ独立の犯罪が成立するものと認めたものでないことは、原判決の判文に照し明白である。ところで、訴訟記録及び原裁判所が取調べた証拠を精査するに、原判決挙示の証拠により、原判示第一の(一)及び(二)の如く被告人から饗応を受けた者がいずれも選挙人であり、又同人等が何人であるかの点を断ずるに難くない。而して、窪田良作及び志谷時之助と被告人とがそれぞれ所論の如き身分関係に在ることが窺われるけれども、右両名も亦選挙人或いは選挙運動者の一員として参集したものであることは、諸般の証拠によつて明らかである。抑も、本件の如く公職の候補者が当選を得る目的を以て多数の選挙人或いは選挙運動者を同一の日時、場所において、酒食の方法により饗応する行為は包括一罪を以て論ずべきものであるから、原判決が被饗応者の各人につき逐一その氏名を掲げることなく、所論摘録の如く、被饗応者の氏名としてその中一名のものを掲げた上、同人等約何名と判示するに止めたとて、包括一罪を構成すべき罪となる事実の摘示としては、毫も欠けるところはないといわなければならない。原判決には所論の如き理由のくいちがいその他何等違法と認めるべき点を発見することができないから、論旨は採用の限りでない。

第二点について。

被告人が当初立候補を一応辞退していたこと、而して原判示第一の(一)記載の日時、場所に窪田亀市等約二〇名が参集したのは、被告人自らが招集したものでないことは、所論のとおりであるけれども、被告人において、原審相被告人川平和平等が原判示の如き趣旨で饗応せんがため酒食を準備せる事情を熟知しながらこれを制止しないで放置した儘、自ら列席して原判示の如き依頼をしたことは、諸般の証拠によつて認めることができる。然らば、被告人としては到底共謀による饗応者としての責任を免れることはできないものといわざるを得ない。原判決には原審が所論の如き事実の誤認を犯した形跡は毫も発見することができないから、論旨は採用の限りでない。

なお、本件犯罪の動機、態様、共犯関係における地位、被告人の経歴等諸般の事情を考量するとき、原審の刑はまことに相当であつて、又、公職選挙法第二五二条第三項による措置も亦極めて妥当であるということができる。

ちなみに原判決が法令の適用を示すに当り、原判示第一の(一)(二)の各罪につきいずれも所定刑中罰金刑を選択した上、これと原判示第二の罪とが刑法第四五条前段併合罪の関係に在るものとして「同法第四八条第二項、第一〇条に従い犯情の重いと認められる判示第一の(一)の罪について定めた刑に法定の加重をなし云々」と説示したのは、原審が併合罪の処分に関し自由刑と財産刑の両者につき刑法上取扱を異にすることを理解せざるによる過誤に出でたものであることが窺われるけれども、原審の刑は、原判示各罪につき定めた罰金の合算額範囲内において処断したものであるから、結局、右瑕疵はこれを以て判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤となし難い。

よつて、刑事訴訟法第三九六条により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡田建治 裁判官 組原政男 裁判官 黒川四海)

弁護人大脇英夫の控訴趣意

第一点理由にくいちがい及び事件不特定の主張

1、原判決はその第一事実に於て選挙人窪田亀市等約二十名(第一の(一))選挙人中野忠等約十名(第一の(二))に選挙運動をされたい旨依頼し、酒食の饗応をしたと認定された。

2、然るに全記録を検するに右窪田亀市等約二十名或は選挙人中野忠等約十名の氏名は明かでないばかりでなく従つて又右二十名或は十名が有権者であるか如何かも明らかでない。右饗応を受けたものの氏名は窪田亀市、中野忠の供述調書は勿論原審相被告人川平和平の供述調書被告人の全供述調書によるも一も明かとなつていない。もつとも記録三七丁以下石川常好等の供述調書は即ち同人等がそれぞれ四月二十三日或は二十四日に饗応を受けたことの供述調書であるが故にこれ等を拾つてその人物氏名を確定することは必ずしも出来ないことでははいが併し右供述調書等は被告人に対する起訴事実の証拠として提出せられたものである。つまり右供述調書の供述者が判示饗応を受けたとの内容が証拠となるのである。然るに問題は窪田亀市等約二十名とは誰か或は中野忠等約十名とは誰かという点である。つまり起訴状に於ける被告人が饗応したという被饗応者の氏名の問題である。原判決は援用の法条に於てそれぞれ併合罪の条文を援用しているから単に窪田亀市一人、中野忠一人に対する饗応を起訴したものでないことは明らかである。然らば起訴状に於て被饗応者は誰であるかを明かにせねばならぬし、仮りに起訴状に於てこれが明らかでなくても被告人の供述調書或は共謀被告人川平和平の供述調書又は窪田亀市、中野忠の供述調書によつてその氏名が明らかにされることが必要であると信じる。然るに右各供述調書には単に部落の人約二十名とか先日来なかつた残りの十名という風に書いてあるだけである。そして証拠として提出された数十通の供述調書をたどつてはじめて其の氏名がわかるいう様な次第では決して被饗応者の氏名は特定的に明かであるとは云い得ない。即ち本件起訴は公判に付された事実が特定していないと云はねばならない。

3、この事を主張せねばならぬ実質的理由は被饗応者が特定せねば果してそれが饗応であるか如何かが断定出来ぬし又饗応だとしてもその事情は色々違うのであるから被饗応者各個についてこれを論ぜねばならぬのに氏名が具体的に特定しなければそれが出来ないからである。例えば記録八二丁の窪田良作の如きは被告人の従兄弟であり県吏員である。記録一五〇丁の志谷時之助は被告人の義兄である。この両名に対する饗応も起訴されているなら饗応の事実は争はねばならない。志谷時之助は被告人の親戚代表として被告人のなした挨拶の不足を補充して挨拶をしている(一五二丁)。いはばもてなし側に立つ人である。良作も同様親戚で被告人の立候補に際し酒二本その他の陣中見舞を贈つて居る。被告人から饗応を受ける立場ではない。又県吏員の身分に鑑みる時この人に運動を依頼することも直ちには認め難い。

4、要するに本件は被饗応者の氏名が特定していない欠陥がありこれを明かにした上でなくては犯罪の成否も情状も明かにすることが出来ない。この点から原判決は破棄せねばならない。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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